『鬼子母神と石榴』

 前身は“鬼女”で、他人の子どもをさらって食べていました。
 そのあまりの所業に人々はお釈迦様に救いを求めました。そこでお釈迦様は、
500人もいる鬼子母の子どもの一人を隠されました。
 すると鬼子母はうろたえ悲しみお釈迦様に泣きついたのです。
 お釈迦様は500人の内一人でもいなくなっても、それだけつらいのだから、
おまえに子どもを食べられた母親の苦しみはわかるであろうと鬼子母にさと
しました。

 どうしても人の子を食べたかったら、この石榴の実(血の味)を食べて我慢
しなさい・・・といって、その枝を渡しました。

 そのことをさとった鬼子母は、その後他人の子どもまで合わせて育てる良い
仏になり、後には安産と子育ての仏になったそうです。そしてそれ以来、石榴
のことを吉祥果とも言われるようになりました。


                引用文献
花山勝友監修、PHP研究所編集:[図解]仏像のすべて、東京,図書印刷株式会
              社、
P1051991

 上段左図は高槻市大手町の本行
寺の“鬼子母神”のお姿。合掌した
真下のお腹の衣装に石榴が描かれ
ている。

 上段右図は引用文献の105ペー
ジのイラスト図である。

 中段の図面は本行寺の鬼子母神
を四方から写真撮影し、仏師 宮本
想観 先生に図面に起こしていただ
いたもの。

 中段右写真はその図面をもとにし
て作製(平成16年3月 檜)し、仏壇
におさめさせていただいた。